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日本画の高山辰雄氏逝く。 - 2007.09.16 Sun

初めて好きになって、展覧会まで行った日本画の巨匠が亡くなりました。
高山辰雄さん。
ぼうっとした画風の青い風景の中に、遠くへと続く家路、家の灯り、そういう一枚の絵があったことを思い出します。
なつかしい場所。
ふるさと。
母と子、少女、月、猫、牡丹の花など、深くて淡い色合いとあのタッチ、思い出すと涙が出てきそうに好きなのです。
そうですか。
もう90歳を過ぎてらっしゃったんですか。
たくさんの経験をありがとうございました。
心からご冥福をお祈りいたします。

画業70余年、高潔な航跡 高山辰雄さん死去
2007年09月14日20時52分 asahi.com

 画業70余年。高潔な航跡を描いて日本画家高山辰雄さん(95)は、14日に死去した。深い精神性をたたえる画境に到達した、スケールの大きな画家だった。

 大分県の小学校時代に、同郷の江戸時代の画家田能村竹田の墨画を見たのが日本画との出会い。医者にと望んだ両親を説き伏せて上京し、東京美術学校で学ぶ。

 その卒業制作で後に妻となるやゑさんを描いた「砂丘」に見られる、若々しいモダニズムが出発点だ。やがてゴーギャンの生き方に影響を受け、色彩感覚を吸収し、日本画革新に一生をささげる。

 戦時中に東京で被災したり、戦後最初の日展で落選したり。憂き目を乗り越えて試行錯誤を続け、ついには「穹(きゅう)」(64年)など宇宙や人間存在の神秘を語りかける世界を開く。人間のかたちや風景がおぼろに溶けこみ、なぜか追憶も誘う。存在の気配を描くともいえる画技は、晩年も貫かれた。

 「日本画の岩絵の具は微粒子で、下に塗った色と上に塗った色の摩擦で発色する。光のけんかというか、生命感がでる。それが好きだ」と聞いたことがある。それほど、独自の絵肌を愛した、根っからの日本画家だった。一方で、洋画の知識も深く、彫刻も手がけ、現代にマッチした日本画を目指した。

 「日本画も、油絵も彫刻も工芸も、全く一つ事になる日がくるかなと思うこともあります。東洋画、西洋画。ほかに南北もあるんだな。どこでも最高のものはいいですね」とも話していた。

 90歳を過ぎても豊かな制作欲は衰えず、昨年秋の日展にも「自寫像二〇〇六年」を出品した。「300年くらい生きても結局は未完で終わるんだろう。逆に未完が人間の充実かなと思ったりして」。伝統と現代を、作品の中でぶつけ、溶け合わせた画家の晩年の言葉だ。

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